
珍しい客が来るというのも店をやっている楽しみのひとつである。
荒木君が休みの先週月曜日。客足の遅い始まりであった。9時を過ぎてまだノーゲスト。僕はポツポツと翌日のブログの原稿を書いていた。
年は40代中頃。しっかりと大きな体躯。その持ち前の骨格を上手に利用し太く大きな声を出す。
その男、自らを「カクテルの国の王」と名乗った。
他愛のない世間話から始まった。間合いを詰めジャブをやり取りする。聞けば都内に限らず多くのバーを飲み歩いているという。当然のごとく知り合いの店の話にも及ぶ。かつてうちの店で働いていたメンバー、今年の8月までジェイズ・バーの2号店を任せていた原田君や、今は吉祥寺にいる横井君のことも知っているらしい。
つくづく思うがこの業界も意外に世間は狭い。手繰り寄せていけばどこかで誰かと繋がっているのだ。しかし、ぼんやりとばかりもしていられない。この手のお客様は「要注意」の扱いである。
ポイントは「相手の心に潜む悪意」。その存在の有無を見分けられるまで迂闊には動けない。誤解を恐れず失礼を承知で言わせていただくが、「ただ難癖を付けたいだけ」というお客様も中にはいるのだ。
ご本人からも話は出たのだが、この「カクテルの国の王」、実は以前に一度ジェイズ・バーに来たことがある。最初のうち僕もピンと来なかったのだが、次第に思い出した。3,4年前のことである。
3,4年前のその日。「カクテルの国の王」は結構な酔いっぷりであった。聞けば本日6,7軒目ということであった。
僕は酒を飲んで酩酊することを責めない。酒を売っているくせに酔っ払うなというのは詐欺だとすら思う。バーが公共の場所であることを理解していただけるなら、それ以上何も言わない。お行儀良くかしこまって飲んでいてくれれば僕らの仕事は楽チンなのかもしれないが、お客様がつらいだけだろうし、何しろつまらないだろう。大切なのは行儀の良し悪しではない。周りの誰かを不愉快にしているかどうか。それが僕のスタンスである。
その日のジェイズ・バーはそこそこの混み具合で、あまりお相手をすることもできずに「カクテルの国の王」は1杯で帰った。確かに今思えば、短い時間であったがその存在感だけは残して行ったなと思う。
さて、肝心の「相手の心に潜む悪意」である。そんなものにまんまと一杯喰わされるほどこちらも小僧ではない。かといって手強い客を相手にさっさとシッポを巻いてその軍門に下るのもおもしろくない。そして何よりも優先順位の高いことであるが、どんな人にもできる限り満足して帰っていただきたい。「カクテルの国の王」であろうが誰であろうが、ジェイズ・バーに来た以上は満足をして帰っていただきたい。
真っ当に飲み慣れた人というのはきちんと自己主張はするが、実は極力その店のスタッフに失礼にならないようにするものだ。彼らは自らを良く知っている。「私は気持ちの良いサービスを受けたいのでここにいるのだ」というごく当たり前の自覚が彼らにはある。良い酒飲みというのは自らのその気持ちを大切にする。自らの大切にするものを相手にも大切にして欲しいので、まずは相手の大切にしているものを探っておこうか。という風になる。礼を欠いては楽しくなれない。彼らはそのことを良く知っている。
悲しいことに、名も知れぬ街の「バー評論家」は結果としてただの皮肉屋になってしまいがちだ。皮肉屋はどんな時でも「間違い探し」と「後出しジャンケン」に終始する。悪意と敵意を剥き出しにしては良いサービスを受けられることもないだろうにと思う。結果として彼らは気持ち良くなれない。気持ち良くなれないから文句を言うことで溜飲を下げる。本来気持ちが良くなるために飲みに行くはずなのに、飲みに行くことの目的が溜飲を下げることになってしまう。溜飲が下がるためにはそれ以前の不愉快な思いが必要になり、結果として不愉快な思いを求めて酒を飲みに行くこととなる。本末転倒であり、悲しいかな悪循環である。
もちろんすべての酒飲みが皮肉屋である訳ではない。先ほど申し上げたようなことはごく一部の人たちのことだ。そして繰り返しになるが、もう一度言わせていただく。僕はいつだってどんな人にもできる限り満足して帰っていただきたい。どんなときも僕はそう思い働いていいるし、そのために努力をしているつもりだ。
しかし、僕は皆様にひとつ言い訳をしなければならないかもしれない。40も過ぎてつくづく思うのだが、やはり人にはそれぞれに能力の限界というものがあるのだろう。僕には僕の身の程というものがあるのだ。僕はぼちぼち僕の身の程の中で生きる覚悟が必要なのかもしれない。例えば僕よりおいしいカクテルを造る人というのはたくさん存在するのだ。「コイツには適わない」、僕がそう思えるバーテンダーは確実にいるのだ。僕は考える。おいしいカクテルが造れるように努力を積み重ねるべきだろうか?それともその時間を他に振り向けるべきだろうか?
若いバーテンダーにはひと言申し上げておきたい。身の程を知ることは不幸なことではない。大切なのは「身の程を知り、夢を見ること」だ。身の程を知ったなら、夢のカタチは整ってくる。そして夢を見たなら、また身の程を知らされる。けれど再び知らされた身の程により、さらに夢のカタチはより正しくなる。「身の程を知り、夢を見ること」。人生とはそれの繰り返しである。身の程を知ること。それは幸せへの近道ですらある。
何でもやってみろ。好きなことなら続けられる。
さて、話を戻そう。
話は「カクテルの国の王」の「心に潜む悪意」についてである。
あくまでも僕の判断した結論であるが、「カクテルの国の王」の心の中に悪意はない。確かに露悪的。やんちゃでいたずらなところは十分に持ち合わせているが、ひと言皮肉を言いたいがために飲み歩いているような人ではないと見た。
何処に行っても誤解を受けやすい人だろうということは想像に難しくない。しかし彼の言葉に素直に耳を傾けるならば、「私は気持ち良くないということをあなたに向かって今申し上げたいのだ」ということを彼は言いたいだけなのではないだろうか?
「私は気持ち良くない」。
実はそのひと言を素直に言うお客様というのはほとんどいない。多くのお客様はそのひと言を我慢して帰ってしまう。我慢して帰ってそしてその店に二度と行かなくなってしまう。そのことは僕たちバーテンダーを苦しめていることになるのだろうけど、残念ながら僕たちは本当のことを知る機会を失ってしまう。
大人になれば理解できるようにはなる。あの人が来なくなった理由を。だけどその理解は僕の想像力の結果であって、事実を知ることとは違うはずなのだ。
「私は気持ち良くない」。
今回、「カクテルの国の王」はそう言わずにジェイズ・バーを去った。けれどどうやら方々の店でその台詞を言っているらしい。恨みを買うことも多いのだろうけど、僕らはその言葉に耳を傾けねばならない。
僕自身思うところの多い「カクテルの国の王」の来店であった。言い足りないこともある。
恐らく来週末。この話、次回に続く。